アケミ カワバタ
ウォルト・ディズニーは、「スタートをきる方法は、しゃべるのをやめて動き始めることだ。」と言いました。
私の名前はアケミ カワバタ、現在11歳で、ユタ州のソルトレイクシティに住んでいます。2011年2月16日に生まれたとき、私はひどい黄疸がしばらく続きました。光線療法を5日間ずつ3回受けました。新生児スクリーニング検査、遺伝子検査を含むいくつかの検査の結果、私はシトリン欠損症と診断され、両親ともに保因者であることが分かりました。
診断後、医師は魚由来のサプリメントフォーミュラを私の食事に取り入れました。私はとてもハッピーな赤ちゃんで、社交的で、兄が大好きでした。私の成長過程は周りより少し早い位で、乳児期は概ね順調に過ごしました。
幼少期
園児のころは、社交的でおしゃべりでした。幼い頃から、いとこや友だちと楽しく遊んでいました。体を動かすことが好きで、兄についていきたいと思っていました。幼稚園にもすぐになじめ、友だちをつくることができました。私は同級生より少し背が低かったのですが、特に気にはなりませんでした。テコンドー、サッカー、体操、バレエ、ヒップホップなど、たくさんのスポーツに参加しました。私はとても負けず嫌いで、どの活動も楽しんでいました。
4歳児クラスの最終日に、石を的に当てる遊びをしていた時、私が投げて的に当たった石が運悪く建物にぶつかって跳ね返り、私の眉間に当たりました。私は何時間も食事をしないということができないので、(全身麻酔なしで)起きたまま12針も縫わなければなりませんでした。幼稚園の頃、同級生や両親、兄弟の名前を全部覚えました。あだ名は “市長あけみ “でした。幼い頃、日中はひいおばあちゃんとおじいちゃんが私の世話をしてくれていました。
幼少期からのユニークな特徴
体を動かすこと、忙しくしていることが好きでした。6歳の頃からゴルフの大会に出場するようになりましたがフェアウエイでふざけたのに1位を取ったことが親を怒らせ、一旦お休みになりました。親は子ども以上に勝ちにこだわり、プレーの楽しみを奪う事がある事を学びました。私は4歳でテコンドーを始め、7歳で黒帯1段を取りました。黒帯の試験を受けたのは私が最年少でした。代謝の検査とモニタリングのひとつとして、私は数年おきに認知や社会性に対しての検査を受けていました。兄と同様、読み書きが苦手ですが算数は得意でした。また私は視覚からの記憶力が強く、ピアノの発表会や算数・スペルのテストに役立っています。また、私は整理整頓が得意で、いろいろなものを集めるのが好きです。8歳のころはあるキャラクターを100以上コレクションしていました。
食事と運動
大きくなって、スポーツをする機会が増えたので、最高のプレーができるようにタンパク質量を調整する方法を学び始めました。幼い頃は、他の子と一緒にいるときに、仲間に入りたい一心でポテトチップスなどの炭水化物を食べていました。幼稚園で、タンパク質が不足しているとき問題を起こし先生を怒らせることがありました。園長先生がタンパク質不足に気づきチーズをくれると10分もしないうちに素直でハッピーな私に戻ることができました。それでも周りに合わせたい気持ちもあり、周囲からのプレッシャーを感じ多少苦労しましたが、そのうち、タンパク質と炭水化物を減らすことで体調が良くなることに気づき、加工炭水化物を控えるようになりました。お菓子や飴は食べず、飲料は牛乳と水のみでした。しかし、ラスベガスで行われたバスケットボールの大会の後、できるだけ炭水化物を抜こうと決心しました。ある晩、インNアウトのダブルダブルバーガー プロテインスタイル*を10分間で2つ食べました。 注*アメリカのバーガー店で販売される、パティ2枚、チーズ2枚が、バンズの代わりにレタスで挟まれているハンバーガー。
また、私は炭水化物で満腹にならず、タンパク質は長持ちしないため、比較的食欲が旺盛です。スポーツ選手としては、バスケットボール、ゴルフ、格闘技の大会に出場していました。毎日、朝食にはオートミールを1/2カップ、低脂肪牛乳170g、卵白オムレツ、これにビタミン、MCTオイル、L-アルギニンを加えて摂っています。ラスベガスでのバスケットボール大会の後、私はほとんどの加工炭水化物を食べないと決めたので、パン(低炭水化物のトルティーヤは除く)、チップス、お菓子類は一切食べなくなりました。昼食には、チキンやタンパク質入りのシーザーサラダ、フルーツ、野菜を定期的に食べています。夕食には、170~230g程度のタンパク質(牛肉、鶏肉、魚)と蒸し野菜、サラダを食べるのが定番です。
小学生時代の長所と短所
兄と同じように、小学校のころは、読み書きが好きではありませんでした。字は読めますが、読解が苦手でした。現在は高校進学に向けて、家庭教師の先生と一緒に読書や読解の練習をしています。小学生の間にバスケットボール、ピアノ、テコンドー、ゴルフが大好きになりました。幸運なことに、私は小規模の私立学校に通っていて、先生方が私の体質を理解し快く対応してくれています。私自身は、友だちが人間関係で困っているときに助けてあげられるよう努力しています。今年から中学生になりますが、近況はお伝えしていきたいと思います。
実績と受賞歴
私はまだ子どもですが、これまでにいくつかの賞を受賞し、個人的な功績を残してきました。テコンドーでは、5年間練習して黒2級を取得しました。バスケットボールチームでは、男子と一緒にリーグ戦やトーナメントでプレーしています。テコンドーの国際大会に出場し、金メダルと銅メダルを獲得し、大きな演武会にも参加したことがあります。夏にはいくつかのゴルフトーナメントに参加し、今年の夏にはクラブチャンピオンシップのトーナメントで1位を獲得しました。アクリル画は地元の動物園の絵画展で入選し、そのうちの1枚で青少年賞を受賞しました。私はまだシトリン欠損症で特に困ったことはありませんが、兄と両親がこの体質について学び、私を導き、助けてくれています。
まとめ
私は自分の話を伝えることで、あまり知られていない体質で成長することはたまに難しい事もある一方、子どもでいることは楽しいし、ヘルシーな食生活を送ればメリットも沢山ある事を知っていただければよいな、と思いました。検査・研究助成を通じてシトリン財団は私たちをサポートしてくれており、医師や研究者がシトリン欠損症の改善方法を見つけ、より多くの子どもたちのためになる様、情報やデータを提供していきたいと思っています。私自身は、財団の研究目標をサポートできるよう、参加したり、新しい場所を見に行ったりすることが好きです。
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