患者体験談

私と二人の子どもについて

患者談 以下はお寄せいただいた個人の体験談です。必ず主治医と相談し適切な判断を仰いでください。 私が生まれたのは1983年です。まだ、この病気が知られていない頃です。39週で生まれ、出生時の体重は1810g、母子手帳には低体重児と書かれてあり、1ヵ月は保育器にいました。 生まれてから2週間ほど、フェニールケトン尿症とホモシスチン尿症で再検査になり、生後1ヵ月で正常値になりました。その後は偏食でありながらも、身体上は何事もなく、成人を迎えました。 私が、このあまりにも極端な偏食が病気だと分かったのは、子供を産んでからです。第一子の長女もこの病気でしたが、生まれた時も異常なく、自分と同じような食事を与えていたこともあり、問題なく成長しました。 第二子の長男出産後、黄疸が引かず、様々な検査の結果、シトリン欠損症にたどり着き、症状が自分もよく当てはまるため、私も遺伝子検査をしてもらい、確定しました。 長女も私と同じタイミングで確定診断されました。 何事もなく過ごしてきましたが、やはり偏食では苦労したこともあり(学生時代のキャンプや修学旅行等)、もっと前に分かっていれば、対処が出来たこともあったのだろうと考えることもあります。診断がついた時の衝撃は忘れられません。 二人の子供が幼いうちに病気と分かり、学校での対応や周囲への理解を広める事が出来ていることは、良かったと思っています。昔と比べて、様々な病気があるということへの受け入れは難しくない世の中であることも感じますが、やはり私の一番の願いは、病気が治るということです。

子どもがシトリン欠損症診断に至るまで

患者談 以下はお寄せいただいた個人の体験談です。必ず主治医と相談し適切な判断を仰いでください。 シトリン欠損症の徴候 私は38週で2900gの息子を出産しました。出生時、黄疸もなく全て正常であると言われました。しかし甲状腺のレベルは少し高かったようで看護師は血液検査を提案しましたが私たちはそれを断り、その後退院しました。 当初は完全母乳でした。私達は第一子の誕生に喜び、写真を撮る毎日でしたが、今思い起こすとあの時息子は既に黄疸の徴候はあったのです。数週間が過ぎ、黄色味は日ごとに増してきました。先輩、友人、周りの方々からアドバイスをもらい、思いつく限りの事をし、いつかは治ると信じていました。ネットではビリルビン値を下げるために黄疸のある赤ちゃんには母乳を頻繁に与える事、とありました。 息子の体重は安定したペースで増えていきましたがそれでも小さめの赤ちゃん、ということに変わりはありませんでした。体重、身長、哺乳量、状態は良好でした。ただ、皮膚は黄色味が強く、黄疸はまったく消えませんでした。 診断まで 生後1か月でもまだ黄疸は引きませんでした。ほとんどの黄疸は数週間で自然に治まるようでしたが、息子の黄疸は悪くなる一方で不安に思い、健康診断と定期的な予防接種のためにも最寄りのクリニックに連れて行くことにしました。クリニックでは採血と検尿が同日に行われ、ビリルビンが非常に高いことがわかりました。その値は300を超え、すぐに紹介状が出され、救急に連れて行くように言われました。 この時点では、私達はこれが何を意味しているのか正確に理解できず、そこまで悪くないかとも思い、いったん帰宅して数日状態を観察する事にしました。その間私たちは他の方法を試しました。漢方薬店で購入した花を入れた浴槽で入浴させたり、日光浴をしたり、水を飲ませたりしましたが、数日後やはりこれらの努力は実を結ばない事に気付き、病院に連れて行くことにしました。 息子はまだ生後1か月でしたのですぐに小児消化器科のコンサルタントに会う事が出来ましたが、胆道閉鎖症の疑いだと私達を不安にさせました。この時遺伝子による一般的な病気の可能性を排除するために遺伝子検査を医師にお願いしましたことを覚えていますが、これは却下され、代わりに生後間もない息子には受けさせたくない検査に同意をさせられました。かなりの被ばく量を伴う数回にわたる全身X線検査や超音波検査、そして生検と、私たち家族は非常に長く苦しい診断プロセスを経験しました。これらすべては不必要であり、時間、涙、お金の無駄であると感じました。 生後2か月で生検が行われ、生検が行われた日に遺伝子検査の結果が出て、シトリン欠損症と呼ばれる状態にあることがわかりました。 医師との出会い 同じ病院で小児遺伝学および代謝部門のアソシエイトコンサルタントである別の医師に出会いました。前回の苦い思い出の後でしたので新しい医師との出会いは非常に大きな安心でした。この医師は素晴らしい医者であり、私たち家族の体験を理解し、息子を適切に診断してくださいました。シトリン欠損症に関する正しい情報と多くの説明や、私たち親も遺伝子検査を行い、シトリン欠損症患者なのか保因者なのかを調べるよう、助言もいただきました。 この時息子のガラクトースの値が非常に高く、乳糖を摂取できないため、母乳から粉ミルクに変える必要があることもわかりました。今でも授乳中での息子とのふれあいを思い出します。私たちはこのように突然母乳からISOMILという粉ミルクにMCTオイルを補強したものに切り替えなければなりませんでした。 最初の1年は毎月外来に通い、医師と栄養士からたくさんのアドバイスを受けました。また栄養・食事記録とMCTオイルの消費量は毎日追跡し、食事が決められたバランス通りに取れているかの確認を続けました。こうするうちに黄疸は消え、ついに努力が効果を示していることが感じ取れ、実際何が起こっているのかが把握できるようになりました。 6–12か月のころ 生後6ヶ月で離乳食を開始しました。しかし通常の離乳食を与えることができず、全てゼロから用意しなければなりませんでした。それはレトルトなどの既成の離乳食やヨーグルト、乳糖を含むものは全て与えることができなかったということです。担当の栄養士は毎回の外来で離乳食レシピの提案をしてくれました。アボカドに豆腐を混ぜたもの、ヘルシータイムのオートミールシリアルに鶏肉と豆を混ぜたもの、アボカドにバナナを混ぜたものなどで、本当に助かりました。初期の離乳食からタンパク質・脂質・炭水化物の量は決まっていて、1歳になるまで私たちは用意した食べ物を計量しました。おかげで血液検査結果は毎月改善を示し、肝臓の腫大も改善しました。 息子の状態が改善し、私たちはとても嬉しかったです。機嫌のよい赤ちゃんで体重も順調に増加しました。小さめですが、私も小さいので遺伝なのかシトリン欠損症が原因なのかはわかりません。用意した果物、野菜、鶏肉、魚、豆腐など全てをよく食べてくれていました。 現在 私たちの息子は現在1歳8か月で、まもなく2歳の誕生日を迎えます。色々ありましたが早期に正しい診断までたどり着くことができ良かったと思います。知ることでコントロールや予防策を立てることができています。通常の日は家で野菜、果物、少なめの炭水化物と多めのタンパク質を中心に食事を用意し、息子はMCTオイルを毎日摂取しています。私たちが外出時や旅行中は息子がその日に必要なタンパク質と少量の炭水化物を摂れるよう確認をしています。食事は1日3食プラス牛乳です。好きな食べ物は、魚、黄色い麺、チキンサテ、バナナです。彼は鱈が大好きで毎食に鱈を出しても喜ぶくらいですが、できるだけバラエティーに富んだものを食べさせられるよう、他にも鶏肉、豆腐、牛肉、マトンなどを中心に用意しています。お米も問題なく食べられますがバナナとパパイヤ以外の果物はあまり好きではありません。 親御さんへの提案 お子様の食事をできるだけしコントロールし周りがどう思うかなどは気にしないでください。実際にシトリン欠損症患者を持つ親でない限り周りの人にはわからないものです。私達は自分たちの親や他人に何を言われようと息子の為に最善を尽くしてきました。結局のところ、患児の親である私たちが一番よくわかっていて、また母親として私たちは子供にどのようにシトリン欠損症と向き合っていけばよいのか教えるために努力したことはわかっていると思います。 もちろん、栄養士や医師の推奨するPFC比に沿えるよう食事の計量をすることはベストです。そうでない場合は、タンパク質、炭水化物、脂肪の必要量をだいたいで良いので見積もってください。私は試行錯誤しながら色々なものを適度に与えるべきだと思います。 望むこと 最後になりますが、私は私たちと同様の経験をされた他の親御さんにも会ってお話を伺いたいと思っています。また息子よりも年上のお子さんを持つ方にもお会いし、体験談を聞けたら、と思います。シトリン財団は親・患者・研究者のつながりを築いてくれ、感謝しています。学校、教師、教育者、そして世界中の誰もがいつかはシトリン欠損症について知り、患者にとって食事のバランスに注意を払うことがいかに重要であるかを知ってほしいと思います。 私は自分の両親や義理の両親に何度この疾患について説明したかわかりませんが、それでもまだ十分な理解は得られていません。いつの日か、シトリン欠損症が世界中で知られるようになり、診断までのプロセスが私たちの時のように苦労に満ちたものではなくなるよう、願っています。 [...]

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