andrea

シトラスアボカドサラダ

[クリスマスレシピ] サラダ用緑のミックスサラダ(ルッコラ、ほうれん草、クレソンなど) 4カップ熟したアボカド 2 個(皮をむき、種を取り、スライスする)皮をむき、輪切りにした大きなグレープフルーツ 1 個大きなオレンジ 1 個(皮をむき、輪切りにする)赤玉ねぎ 1/4 個(薄切り)刻んだ新鮮なコリアンダーまたはパセリ 1/4 カップトーストしたスライスアーモンド 大さじ2(お好みで) シトラスビネグレット-用 ライム果汁 1個 レモン汁 1個分 エキストラバージンオリーブオイル 大さじ3 ディジョンマスタードまたはマスタード 小さじ1 塩と胡椒 [...]

キノコ詰め

[クリスマスレシピ] 大きなキノコ、洗って茎を取り除きます 柔らかくしたクリームチーズ 1/2 カップ ニンニク 2片(みじん切り) すりおろしたパルメザンチーズ 1/4 カップ 乾燥ハーブ(パセリ、タイム、ローズマリーなど) 小さじ1 塩と胡椒 オリーブオイル 作り方 オーブンを 375°F [...]

朝妻妃音のインタビュー

概要 このインタビューでは患者福祉・研究リエゾンの浅見が当財団の会員でもあり、シトリン欠損症患者の朝妻妃音さんをお迎えしました。朝妻さんはどのようにして周囲からこの疾患の理解を得たのかについて語ってくれました。朝妻さんには以前財団とのコラボで小学生向けの資料のイラストを描いていただいたので、そちらが出来上がった経緯についてもお伺いしました。最後にシトリン欠損症を持っている子供達に向けてのメッセージも残してくれました。 朝妻妃音インタビュー 浅見: 初めにご覧いただいている皆様へご自身についての簡単な自己紹介をお願い致します。 朝妻: 私の名前は朝妻妃音と申します。東京在住で22歳です。生後3ヶ月の時に、シトリン欠損症と診断されて日々食事と試行錯誤しながら、今は適応・代償期にいるので、楽しんで生活しています。シトリン欠損症で得た経験から看護師を志し、小児病院で看護師として働いていましたが、今は体調を崩してお休みしています。この休み期間に、イラストの作成や今回のインタビューなど貴重な経験をすることができてとても嬉しかったです。私のインタビューを通して全国にいる皆さんの背中を押し、何かより良いものを与えられたらいいなと思ってこのインタビューを受けることにしました。初めての機会なので、とても緊張していますが、本日はよろしくお願いします。 浅見: ありがとうございます。全然緊張しなくて大丈夫ですよ。早速なのですが、シトリン欠損症とともに生きていく上で直面した課題点がありましたら、ぜひ教えてください。 朝妻: 年齢や学年が上がり、新しい人と出会うたびに交友関係や相手の理解獲得などさまざまな課題に直面しました。まず食事管理についてですが、物心がつく頃には何が食べたいとかどれぐらい欲しいかっていうセンサーのようなものはちゃんと出来上がっていたので、自分の思うままに自由に食事を摂っていました。母から聞いた話なんですが、「幼少期は食が細くて食べさせることに苦労した。」と言っていて、体重や血糖値維持の為に牛乳を一日2L飲んだり、卵、チーズ、ナッツを好んでよく食べていたそうです。年齢が上がるにつれて少しずつ食に興味を持って、好きなものならたくさん食べられるようになりました。その中で、糖質とか甘いものは「食べられる」とか「食べたい」と思って口にしたものでも、後から具合が悪くなってしまうといった失敗も多くありました。その度に学んで自分の知識として蓄えて行きました。今でもその失敗を活かせるときもあれば、再挑戦してまた失敗っていうこともありますが、楽しくやってます。 小学生、中学生の頃はクラスメイトとか友人に、シトリン欠損症であることを全然公表してなかったので、給食では食べられるものやおかずを少し多くもらったり、担任の先生がよく気にかけてくれたり、とても恵まれた環境と学校で過ごしてたのではないかなと思います。炭水化物や甘い物を取らなきゃいけない時もあって、うまくかわせる日もあれば、頑張って食べて帰宅してから具合が悪くなるっていうこともよくありました。でも、それもいい勉強になった出来事だったなと思っています。 高校生になると食事の面だけではなくて友人関係や友人とのコミュニケーションの中で乗り越えなきゃいけない壁が増えたように思います。友人に、シトリン欠損症であることを初めて話す時は、「受け入れてくれるのかな」っていうのと、「これまで築いてきた関係性が壊れてしまうんじゃないかな」っていうのと、「特別扱いして欲しいわけではない」っていう気持ちがちゃんと伝わるのかなというのですごく不安でいっぱいでした。ですが、友人から返ってきた言葉は、「話してくれてありがとう。私もこれが嫌いで、苦手なものとかもいっぱいあるけど、 ほかの自分が好きなものを多く美味しく食べれるから幸せに思ってるし、それと同じ気持ちでしょ?」っていうふうに言ってくれてとても嬉しくて安心したのを覚えてます。今でもその友達とはよく遊んだり、一緒に美味しく食べれるメニューを探す旅に出たり、ものすごく楽しくやってます。何人かのグループに居ると、みんなそれぞれ食の好みが違うから、会話についていけなかったりお店に入っても食べるものがないってなったりした時もあったのですが、そのことをマイナスに捉えることは1回もなかった です。 初めて打ち明ける時に友達に対しては、「私に遠慮して好きなものとか、食べたいものを我慢するようなことはしないでほしい」って言うのはお願いしていました。だから一緒にいてもお互いに変に気を遣うことなく、自分たちが好きなものを好きなように食べたり、私は食べないって分かってるけど、話題を振ってくれたり、私も一緒に食べれる甘いものとかのお店を探してくれて、「一緒に行こう」って言ってくれたり、ちゃんと打ち明けたからこそ、凄く居心地のいい関係性が築けたのかなっていうふうに思ってます。宿泊を伴う学校行事、小学校、中学校、高校でそれぞれあったんですけど、みんなと違うことをするのが嫌で恥ずかしかった小学生時代は、持って行った牛乳とかを全然飲まないで帰って来て、出してくれたご飯の中でやり過ごしてたってこともありました。 中学校になると、給食でのやり取りを通して、ある程度周りが私が好んで食べるものを周知し始めたり、給食交換(おかずとデザートをちょっと交換する)をしていたので、入浴後にみんなで牛乳を飲むっていうことも自然とできるようになっていました。高校になると、当たり前のように、私は牛乳を飲むっていうのをみんなわかってくれていて、みんなの方から「牛乳飲んだ?」とか、あと「自分はこれからコーヒー牛乳飲みに行くけど、ひめは牛乳飲むよね?」という会話がすごく多くて、とても楽しかった記憶でいっぱいです。 高校生の頃に抱いていた夢の中で、「シトリンを通して学んできた経験を活かせるのは看護師なんじゃないか?自分にしかできない看護がある。」と考えるようになって、看護学校に入学したんですが、そのシトリンに対する理解を得るのに一番苦戦したのが、この看護学校時代だったように思っていて、入学した当初に資料や言葉を用いて説明したんですが、これまでのようにうまく理解してもらえたっていう感覚がなくて、実習が始まってからそれがすごい顕著に感じるようになりました。実習を終えて夕方になってくると、体がフラフラしたり、手足に力が入りにくいとか、お腹が痛いって言ったような症状が出てきたんですけど、補食を取れる場所だったり、状況もなかったので、実習が終わるまでひたすら我慢してロッカーに急いで帰って補給するっていうような生活を繰り返してた時期があって、先生にもう一度理解してもらおうと思って考えた時もあったんですけど、その一回目でダメだったから理解してもらえないんじゃないかっていうのと、なんか「特別扱いしてください」って言ってるような気がして、そっちの方が嫌だなと思ってしまって、言えなくなってしまいました。でも、それに反して専門学校で出会った友達には何の特徴もなく、「私はシトリン欠損症だよ」って話せるようになっていて、高校と同じように居心地のいい関係性をたくさんの子と築いていました。これからその実習期間が長くなる上で、どうしたらいいのかっていうのを考えていくうちに、入学時に用いた資料だったり、過去に話した言葉だけでは相手の理解を得るのには、不十分だったなっていう風に感じて、そのときに自分が必要としてた資料だったり、探してた資料がどこにもネットとか、本とかにもどこにもないことに疑問を持って、それなら自分で作ろうと決めて作成していた時に、きっとこの資料はほかのシトリン欠損症の患者さんにも役に立つのではないかなって思いながら、学年が上がった次の年(2年次)に全員の先生に向けてお話しする場を設けてもらいました。そしたら、一人の先生から「よく頑張って資料を作ったね」っていう事と「わかりやすくて何に困っていたのか、何をして欲しいのかっていうのが伝わってきたよ」っていう感想を言ってもらえて、やっとわかってもらえたっていう安心感と、相手に伝えるためにした努力は必ず良い方向に向くんだなっていうのをすごく実感できてうれしい気持ちでいっぱいになりました。その後その資料は、管理栄養士の藤谷先生のサポートもあって、患者会でお話させていただいたり、そこからまた発展して、「わたしのおなか」っていう絵本に変化したりして、すごい自分でもびっくりするような経験に繋げることができて、本当に嬉しかったです。このように年齢を重ねるたびに、課題だったり、苦労したこともあったんですけど、今改めて振り返って感じるのはなんか私に出会い、関わってくれる人たちにとっても恵まれているなあっていうことをすごく感じています。ありのままを受け入れて理解してくれたり、ポジティブな言葉とか意識に変化させてくれる友人が多かったり、診断されてからずっと見守ってくれていた乾先生だったり、アメリカから帰国してから出会った大石先生だったり、何よりどんなときも、シトリン欠損症であることを誇りに思うように育ててくれた両親にはすごく感謝しています。私は過去に、シトリン欠損症であることを母に攻めてしまったことがあるんですけど、その時のことはすごく今でも後悔してるんですけど、でも、その経験があったからこそ、今の私の考え方だったり、シトリン欠損症は病気ではなく一つの個性だとして捉えられるようになったり、そこからみんなも同じように今を楽しく幸せに過ごすためにはどうしたらいいのかって考えて行動できるようになったので、シトリン欠損症として生まれてきて良かったなあっていうふうにすごく感じています。これから先の人生でもいっぱい課題だったり、乗り越えなきゃいけないことがあると思うんですけど、今までの経験を糧にして、私らしく、楽しく乗り越えて行けたらいいなあっていう気持ちと、その経験を皆さんと共有して、誰かの役に立ったらいいなって言う風に思っています。 浅見: ありがとうございます。すごいたくさん内容の詰まったお話でした。 小学生のときはなかなか周りには言えなかったけど、中学、高校になって自ら言えるようになって、大学生(看護学生)になってから、結構理解を得るのに苦労したと思うんですけど、今後こういうことが不安だなって言うことはあったりしますか?でも逆に多分ここまで、もう本当に理解を得てもらうのに、自分で資料を作成したりだとかっていう事が出来ている時点で、もうすごいなってもう感動したので、それがすごいなと思ったんですけど。でもそれができたら今後何かがあってもなんか自ら主張できるんだろうなっていうふうにすごい思いました。 朝妻: ありがとうございます。 浅見: 次の質問に進みたいと思うんですけれども、朝妻さんが過去にご経験された症状や、現在経験していらっしゃる症状について少しお伺いできればと思います。 朝妻: 乳幼児期は母から聞いた話になってしまうんですけど、黄疸だったり低血糖だったり、体重が一時期増えなかったっていうのがあったと言っていて、物心がついてからは重い低血糖とかにはならなくなったんですけど、体がふわふわして手足に力が入りにくいとか、血糖値が下がっていく時に起きる症状をなんか感じるようになったり、疲れやすいとか、頻回に補食を取らなきゃいけないことが負担になってきちゃってて許容できる糖質量が日によって違うので、それに合わせて摂取した糖質量が多かったとか少なかったっていうことによる体調不良があったように思います。 浅見: [...]

ピーマンの肉詰め

[季節のレシピ:秋編] ピーマン 4個 七面鳥か鶏肉のひき肉 450g カリフラワーライス1/2カップ(お好みで普通のライスでも可) さいの目に切ったトマト1/2カップ さいの目に切った玉ねぎ 1/2カップ ニンニク(みじん切り)2片 イタリアンシーズニング 小さじ1 塩・胡椒 適量 モッツァレラチーズ 1/2カップ 作り方 [...]

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