シトリン財団に望むこと
患者談 以下はお寄せいただいた個人の体験談です。必ず主治医と相談し適切な判断を仰いでください。 シトリン財団がシトリン欠損症患児と家族同士が知り合う機会をつくり、その中でお互いの経験を共有し学びあうことができるようサポートしていただけることを願っています。これは皆がそれぞれ別の主治医にかかっており、子供たちの年齢層も幅が広いためです。 今年(2018年)初めに皆さんと会う機会があり、その時初めてシトリン欠損症の子供でも乳製品を摂ることができるようになることを知りました。また自分たちの子どもよりも大きいお子さんたちのより通常に近い食生活を聞き、少し明るい気持ちになることができました。 先日、患者である子どもが姉のように元気な普通の子になれるかと聞いてきました。私は大変ショックを受けましたがあとから聞くと、学校の先生がお誕生日会の際に用意されたビスケット、ケーキ、お菓子類に全く手を付けないよう子どもを指導したそうです。学校や先生方には子供の状態に関してよく説明をしておりましたが、この時子どもは非常にさみしい思いをしたそうです。 これは、うちの子どもが成長する中で避けられないシナリオの一つでしかありませんが、それでも、親としては他の子供と同じように普通で健康な生活を送れることを願っています。シトリン財団が提供する機会を私達全員が経験を共有し、サポートしあう場として活用し、子供たちのより良い将来の為にシトリン欠損症が引き起こす状態をより良く管理できるようになればと願っています。
確定診断と成長、提案
患者談 以下はお寄せいただいた個人の体験談です。必ず主治医と相談し適切な判断を仰いでください。 何がきっかけでシトリン欠損症を知ったのか、 うちの子は37週で生まれ、2280gと週数の割に少し小さな赤ちゃんでした。 しっかり哺乳量を確保できているのにもかかわらず、身長も体重も伸び悩んでいました。 少し黄疸が出ているようでしたが、経皮ビリルビンは正常値でした。 体重増加不良を医療機関に相談しても、異常なしと言われました。 生後4ヶ月半の頃、別件で総合病院の小児科を受診する機会があり、 ついでに医師に体重の件を相談しました。 母乳育児できちんと哺乳できているなら、このくらいでも心配いらないとのことでした。 ただ、前日に便の色が少し薄い気がしてそのことも相談したところ、血液検査をすることになり、 結果、直接ビリルビン、プロトロンビン、ALP、γGTなどの数値の異常が見つかり、 胆道閉鎖症が疑われそのまま入院となりました。 その後、5日間の検査入院で胆道閉鎖やアラジール症候群などが否定されたため、 退院し、お薬とMCTミルクを飲みながら、遺伝子検査の結果を待ちました。 入院から1ヶ月余りで、シトリン欠損症の確定診断がでました。 それからの生活 それまで母乳育児をしていたので、MCTミルクを哺乳瓶から飲ませるのはなかなか大変でした。 それでも、体重増加不良の原因がわかり、頑張る方向性が見えたので気持ちは楽になりました。 黄疸が消え、身長や体重も増え始め、肝臓の数値も良くなり、お薬の種類も徐々に減り、 嫌がっていたMCTミルクも離乳食の始まりと共にMCTオイルに切り替え、どんどん楽になりました。 1歳前には数値も改善し、お薬もなくなり、診察は2ヶ月おきになり、普通の暮らしになりました。 シトリン欠損症と関係あるかわかりませんが、うちの子は、生後4ヶ月で検査入院したときには まだ頸がすわっていませんでした。 退院後、MCTミルクやお薬を飲むようになって、寝返り、首すわり、ひとりすわりができるようになり その後の発達はあまり心配することはありませんでした。 離乳食では、食癖がでてきているように思いますが、 [...]
息子がシトリン欠損症の診断を受けたとき
患者談 息子の黄疸が数か月続いたのちシトリン欠損症と診断を受けた際は、より深刻な事ではないと知りひとまず安堵しました。しかし、シトリン欠損症について調べ物をするにつれ、例えばシトリン欠損症の子供が成人期にCTLN2を発症する可能性や、その発症の要因は何かなど、多くの未知の要素があることに気付かされました。調べれば調べるほど疑問は増えましたが、満足のいく答えを見つけることができませんでした。この分野に関する医学研究は当時ほとんどなかったのです。 今年(2016年)シトリン財団が設立されたとき、夫と私はその最初のセミナーに招待を受けました。その時息子はすでに4歳で、小児科医の協力を得て食事を管理し、血液検査を定期的に受け健康を維持するという流れにもすっかり慣れました。 「独特」な食べ物の好みを除けば、彼はやや痩せているとはいえ、他の子供たちと同じです。 私たちは心の奥では息子のCTLN2発症の可能性は否定できないことを知っています。ですからシトリン欠損症について私達のように深い関心を持つ2人の創設者によって財団が設立されたことを本当に嬉しく思います。シトリン欠損症について発見し明らかにすることは他にもたくさんあり、CTLN2の予防策と治療の開発のためにより多くの医学的研究ができるよう、望んでいます。また親として、私たちは息子が心身ともに健康に成長できることを望んでおりますので、シトリン欠損症が成長にどのように影響を及ぼすのか、因果関係があるのならどのようにしてその影響が引き起こされるのか、またその影響をどのようにコントロールしていくのか、知りたいと思います。 シトリン財団はまた、自分たちの子供を悩ます遺伝子変異を管理しなければならないことに気づいた私達親同士を繋げてくれました。今はFacebookで交流を深めています。もしかしたら近い将来あなたにも子供たちと共にお会いする機会があるかもしれませんね。
私の確定診断までの状態とこれからの望み
患者談 以下はお寄せいただいた個人の体験談です。必ず主治医と相談し適切な判断を仰いでください。 私が生まれて間もない頃、急に黄疸がひどくなり東北大学病院へ緊急入院をしました。診断の結果は「ガラクトース血症」ミルクや母乳に含まれる乳糖という糖にある成分の一つガラクトースが代謝できずにずっと体に蓄積されてしまう病気です. それでも、病院から処方されたガラクトースが除去されている特殊ミルク等のおかげで、異常なほど黄色かった肌が日に日に通常の状態に戻っていき、 看護師さんからは「色白さんだったのね!」と言われた時はとても嬉しかったと母は言っていました。 黄疸や数値が正常になりつつあり、一度はガラクトース血症と診断されたものの、少ない量ではあるけれどガラクトースを分解できているという見解になった時に、病院側としては何故そうなったのか原因を調べたいので、原因がわかるまで入院してほしいと言われたそうです。が、父と母は猛反対をして特殊ミルクの処方は継続しつつ自宅療養との事で退院したそうです。もし原因がわかるまで入院の道を選んでいたら、13才になるまでずっと大学病院にいたのかなと思うと、退院を希望した両親に感謝するほかありません。 そして離乳食を終えて完全に通常の食事を取り始めた頃から、シトリン欠損症特有の偏食が少しずつ現れてきました。ジュースは飲まずごはんや麺類を異常に嫌がる。ごはんを出されても少しだけしか食べず、おかずばかり食べたがる。傍から見ればとてもワガママな子と思われていたかもしれません。母はガラクトース血症になった事に原因があるかもしれないと判断して、あまりごはんを食べる事を強要しませんでした。 当時の私としては、どうして私はごはんや麺類を食べると気持ちが悪くなるんだろうと思い悩んだ事は無く、それでもずっと体の中に泥が沈殿している感覚だったので、自分が飲食を選べる時はごはんは拒否しておかずを重点的に食べて、飲み物はジュース類を選ばずお茶かお水を飲んでました。物心がつく前から炭水化物を食べると胃の中がモヤモヤするのが私の中では「普通」でしたので、それがおかしいとは思っていなかったのが現状でした。もしかしたら、それが変な事だと思わないように制御して、変な事だと自覚した所で、今の自分には何もできないと思っていたのかもしれません。 あと常にお腹が空いている状態でもありました。そして本当に体調が悪くなって弱気になった時には誰かと私の体を交換してもらいたい。その誰かに今の自分の体の状態を体験してほしい。もしかしたら自分は今とても頑張っていて、本当は誰とも違う感覚で生きているのかもしれない。と、たまにほんの少し考えていました。 それでも、元来の気質的に内に籠る事は無く友達と近所の田んぼを駆け回り、習い事はそろばん、エレクトーン、バスケット等々気になった事はどんどんチャレンジしてみたり割と活発な子供時代を過ごしていました。 そして中学に入学する頃、赤ちゃんの頃お世話になった東北大学病院から手紙が届き、その内容が乳児期にかかったガラクトース血症の原因の一つにシトルリン血症という現在研究中の病気があるのではないかという仮説が立ったので実証の為に採血検査をさせてほしいとの事でした。 わけもわからず、とりあえず採血して検査してもらうとその仮説の通り自分は「シトルリン血症成人Ⅱ型」との事。そして今までの偏食の全てが病気に起因する事を説明して貰った時、これからはごはん食べたら気持ちが悪くなるとちゃんと言って拒否して良いのかとほっとしました。 その頃からだんだんと体調を崩しやすくなったのですが、今考えると元々具合悪いのに我慢して学校に行っていたけれど、もう我慢しなくていいのかと肩の力が抜けてしまった事と、生理が始まってホルモンバランスが乱れていたかもしれない事と、小学生の時は勉強の事なんて気にせず眠くなったら早い時間にすぐ眠る生活でしたが、中学生になるとテスト勉強が始まり、夜遅くまで勉強していないといけないライフスタイルになってしまったという色々な環境の変化で体調がガタガタ崩れていたのかもしれません。あと、土日は友達と遊びたい!という気概で全力で遊びバテるという状態も追加で(笑) 自分が病気とわかったものの、クラスメイトには当時何も言ってませんでした。変な子と思われるのが嫌なのではなく、この時期に言ってもきっと理解はしてくれなさそうだし、理解できずに逆に茶化されでもしたら困るので言わなくていいかと判断していました。無意識の自己防衛のためか、ヘラヘラしつつも人に対しては小さい頃からシビアに見る癖がついていたのかもしれません。そんな人は人、自分は自分を信条に突き進んでいましたが、大人になってから周りも変化しているのでやっとサラっと言えるようにはなりました。 シトリン欠損症と診断されてこれからを生きる子供たちの一番の悩みどころはこの友達付き合いかなとよく思います。 なので、患者会で「友達は、多ければいいというわけではありません。自分の事をちゃんと考えてくれる良い友達を見つけて下さい」と言った事もありました。 この偏食やバテやすさはきっと一生続くものになります。そして、シトルリン血症を発症して肝移植は避けたいです。何故発症するのか、何をすれば発症を抑えられるのか様々な研究結果がわかるのが一体いつになるか私にはわかりません。それでも、シトリン欠損症の子供はマススクリーニングによって発見されて患者が増え続けています。私が生きている間に全てがわからなくとも、ずっとこの病気に対する研究が続いてほしいそして知名度が少しでも上がればシトリン欠損症と診断された子供達が過ごしやすい環境になるのではないかと願ってやみません。